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大きな木のしたで。

夏日のさなかに息子の小学校の運動会があった。
決して広くはない校庭は校舎とともにまだ立て替え工事をしたばかりの新品。
その一隅に、樹齢数百年の大きな木がある。
道路と建物に囲まれた校庭だけれど、その木陰はやっぱり涼しい。
子どもたちはこの大樹に愛着を持っているらしく、よく会話の中に登場する。

学校に大きな木があるっていうのはいいな、と思う。
私がその昔、通っていた小学校にも大きなすずかけの木が二本、しかも校庭の真ん中に立っていた。
もともとは校庭の隅にあったのが、校庭の拡張で真ん中になってしまったらしく、
校庭の真ん中が大木二本というのはずいぶんと変わった光景だったと思うのだけれど、
子どもたちにとってはあってあたりまえ、
なんだかずっと見守っていてくれるような存在だったように思う。
木の下で遊ぼう
木の周りをぐるぐる回ろう
あっちの木からこっちの木まで走ろう
何気ない日々の生活の中に揺るぎなく存在してくれるもの。

そのずずかけの木は私が4年生のときに切り倒されることになった。
老朽して危険なことが理由だったような気がする。
神主さんもきて、全校生徒ですずかけの木のお別れ会をして、
学年で一人ずつ、すずかけの木に向けて作文を読み上げるというのを
4年生の私と1年生の妹も朝礼台にあがって、おこなった。
大きな木がなくなった校庭は、広くなったけれど、のっぺらぼうみたいで
しばらくはおかしな感じがしていた。

校庭の真ん中に大樹が二本。
一風変わったこの校庭が、私にとっての思い出の姿なのだ。
どんなに体育の授業がしづらくても、
枯れ葉が校庭にどんどん落ちても、
それが私たちの場所なのだ。

だからきっと、息子も大きな木のあるちいさな校庭に、愛着を感じているんだろうと思う。
子どもの気持ちは、大人の価値では計れない。

私はいまも、すずかけの木の肌ざわりを覚えている。